自律神経失調症は「心の病気」?
自律神経失調症およびパニック障害は「精神的ストレスで心を病んだことが原因」と考えるのが一般的です。それは現代医学がそう考えているからです。果たして本当にそうでしょうか?
漢方医学では「病気は体質的素因と精神的ストレスという二つの内因から正気が乱されているときに、外因に侵襲されて起こる」と考えています。つまり、漢方医学では「精神的ストレスは病気を起こす要因ではあるけれども直接の原因ではない」と言っているのです。したがって体質的素因を持つ方が精神的緊張下にあるときに外因に侵された時に発症するのだと考えているのです。漢方医学から診断する自律神経失調症およびパニック障害は「心の病気」ではないと言うことです。
当店も長い経験から、自律神経失調症は「心の病気」ではなく、「体の病気」であると思っています。
このことについて少し触れてみたいと思います。
当店が考える自律神経失調症の原因
漢方医学は本物の医学
漢方医学は発生から今日まで3千年とも、4千年とも言われるほど気の遠くなる歴史を刻んできました。その古い医学が、西洋医学が主流の現代にも、綿々として受け継がれているのはどうしてでしょう。病人を治す治療法として有益であるからです。長い歴史を持ち、かつ、現代でも治療法として使われていることを考えると、この医学は本物の医学であると思わざるを得ません。まやかしの医学であればとっくの昔に淘汰されているはずです。
当店はこれまで長い間、漢方医学を臨床的に研究・実践してきました。その経験から、この医学は慢性病と言われる疾患には西洋医学をしのぐ効果を持っていることを知りました。漢方医学は使い方を間違わなければすばらしい効果を持っているのです。
《独り言》
日本人には理論的なものは苦手?
日本には戦国時代に金・元の時代の漢方医学が入ってきました。この医学を最初に導入された古方派と区別するために、後世方派と名付けられました。この学派はそれぞれの薬味(生薬)に、気味と呼ばれる温感(寒・涼・平・温・熱)と、五味(酸・苦・甘・辛・鹹)を配当しました。また、経絡との関係や、薬方の中での働きの重要性によって、君・臣・佐・使の区別があるなど、かなり理論的になっています。臨床のための実践よりも場合によってはこじつけに近いものまでありましたが、古方派の学説に比べかなり理論化されていました。これに対して論理的過ぎると言うことから『傷寒論』などの古い漢方の学説を重んじる古方派が台頭することになったのです。日本ではより理論的な学説の後世方派の医学は排斥されてしまいました。これは日本人には理解しにくかったためだと私は思っております。中国は陰陽五行論と言う哲学思想を生み出した国ですから、哲学的な思考は得意だったようです。反対に日本人は「わび・さび」と言った情感を大事にする国民性ですから、仕方なかったのかもしれません。
日本ではいまだに2千年前に編纂された古方派の傷寒雑病論と言う漢方医学を大事にしています。この医学の特徴は対症療法(主に症状で選薬する方法)を大事にする漢方医学ですから漢方が伝わってからの数百年を「処方の応用」と言うことにだけ日本人は没頭してきたのです。実践にだけ費やし、理論的な考察を一切放棄してきたように思います。
「弁証施治」とは病気の元を突き止め、それを治すことである
日本で主流をなしている選薬システムは主に古方派の学問ですから症状ごとに処方を分類しておいて、その処方の中から合いそうな処方を選薬する方法を取っています。
例えば、頭痛を訴える方で口渇があれば五苓散を、血圧が高くて起床時に頭痛がすれば鈎藤散と言う処方を選びます。また、女性の方でイライラが強くてのぼせがちであれば加味逍遥散を選びます。しかも、この選薬システムは「数撃ちゃ当たる」方式ですのでほとんどの場合10日から2週間の試し飲みをしてもらうことになります。この期間に効果が出なければ転方(処方を変えること)してしまいます。症状が優先されて、病態把握が後回しになっていることからこのような短期間での転方が起こるのです。病態把握をしっかりとしていれば一旦決めた処方を変えることはあり得ないのです。これでは真の漢方医学は実践できません。
再現性のある漢方医学を求めて
日本では漢方を勉強する時、先人たちが経験した膨大な例を一つ、一つ、覚えていくことから始めます。漢方の世界では個々の方の特性を重要視しますので、当然一例報告が多くなってしまいます。その一例報告を基にして選薬をするのですから、どの先人の経験例を覚えるかで選薬は異なってきます。つまり、勉強の仕方により選薬は違ってくるのですから、選薬の結果は異なってしまうのです。これを医学と言えるでしょうか。
漢方医学が学問であれば再現性が必要です。一人の病人に対して、どの人が選薬しようと同じ薬が選び出されなければならないのです。再現性が確立して初めて学問と言えると思うのです。
私はこれからも再現性を求めて、すなわち漢方医学を科学化することに全力を挙げて取り組んでいきたいと思っております。