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漢方への思い

自律神経失調症は「心の病気」?

自律神経失調症およびパニック障害は「精神的ストレスで心を病んだことが原因」と考えるのが一般的です。それは現代医学がそう考えているからです。果たして本当にそうでしょうか?

漢方医学では「病気は体質的素因と精神的ストレスという二つの内因から正気が乱されているときに、外因に侵襲されて起こる」と考えています。つまり、漢方医学では「精神的ストレスは病気を起こす要因ではあるけれども直接の原因ではない」と言っているのです。したがって体質的素因を持つ方が精神的緊張下にあるときに外因に侵された時に発症するのだと考えているのです。漢方医学から診断する自律神経失調症およびパニック障害は「心の病気」ではないと言うことです。
当店も長い経験から、自律神経失調症は「心の病気」ではなく、「体の病気」であると思っています。
このことについて少し触れてみたいと思います。

当店が考える自律神経失調症の原因

1.漢方医学での考え方から

「中庸」と言う言葉から推察できること

漢方医学には「中庸(ちゅうよう)」と言う言葉があります。中庸とは「真ん中」と言うことであり、「し過ぎないこと・しなさ過ぎないこと」を意味した言葉です。つまり、漢方医学では「健康を保つためには中庸を守りなさい」と言っているのですが裏を返せば「中庸」でないことは体調を崩すストレスになるのだと言っています。飲食不節や労倦または房室過多などは「中庸」を越えたものでストレス(負荷)になるのだと捉えて良いと思います。

精神的ストレスは正気を乱すもので直接の原因ではない

「精神的ストレスは正気を乱す要因にはなるが直接の原因とはならない。正気(回復力)を阻害するものであって、病気を起こす直接的な原因とはならない」と漢方医学では言っています。

心身一如

漢方医学には「心身一如」と言う言葉があります。この言葉は「心と体は同一のものであって、心を乱すと体が病む。体を乱すと心は病む」と言うことを意味しています。つまり、漢方医学では「体を病んでも心が病む」と認識しているのです。

2.治療経験から

私達は患者さまの治療をするとき、その方の体の機能の乱れているところを突き止め、それを改善していくことを治療の基本にしています。この治療にて体の機能の乱れを改善していくと、自律神経失調症状もパニック症状も消えていくことを経験しています。このことから、自律神経失調症はおよびパニック障害は「体の病気(体の機能の乱れ)であって「心の病気」ではないということを実感しています。

3.恒常性維持機能から言えること

生体は恒常性維持機能(回復力)を持っています。一時的にストレス(生体の機能を乱す刺激)が掛かって体調を乱したとしても時間の経過とともに、元の良い状態に戻ります。次から次へと同じストレスがかかると生体の恒常性維持機能が働かなって元の良い状態には戻らなくなります。元の良い状態に戻らなくなった時が発病と言えるでしょう。そして、そのストレスがかかり続ける間は体調が悪い状態から脱することが出来ないということになります。

以上のことから、自律神経失調症およびパニック障害の発症の原因は止むことのない持続的なストレスと考えることが出来ます。精神的ストレスはどうでしょう。寝ているとき、休養を取っているときあるいは休職したときなどは精神的ストレスはかからないか、少ないと言って良いでしょう。つまり、精神的ストレスは持続的にかかることはないと言って良いと考えられます。自律神経失調症およびパニック障害の方たちの中にはお仕事を休んでも体調が戻らない人がたくさんおられます。となると、断続的なストレスである精神的ストレスは自律神経失調症およびパニック障害の原因とはならないと考えるべきではないでしょうか。一方、消化機能の乱れなどの機能障害は寝ているときも、休養を取っているときも、あるいは休職したときでも、常に機能が乱れているという(電気)信号を脳に与えています。このように臓器の乱れというストレスは持続的なのです。

漢方医学は本物の医学

漢方医学は発生から今日まで3千年とも、4千年とも言われるほど気の遠くなる歴史を刻んできました。その古い医学が、西洋医学が主流の現代にも、綿々として受け継がれているのはどうしてでしょう。病人を治す治療法として有益であるからです。長い歴史を持ち、かつ、現代でも治療法として使われていることを考えると、この医学は本物の医学であると思わざるを得ません。まやかしの医学であればとっくの昔に淘汰されているはずです。

当店はこれまで長い間、漢方医学を臨床的に研究・実践してきました。その経験から、この医学は慢性病と言われる疾患には西洋医学をしのぐ効果を持っていることを知りました。漢方医学は使い方を間違わなければすばらしい効果を持っているのです。



《独り言》

日本人には理論的なものは苦手?

日本には戦国時代に金・元の時代の漢方医学が入ってきました。この医学を最初に導入された古方派と区別するために、後世方派と名付けられました。この学派はそれぞれの薬味(生薬)に、気味と呼ばれる温感(寒・涼・平・温・熱)と、五味(酸・苦・甘・辛・鹹)を配当しました。また、経絡との関係や、薬方の中での働きの重要性によって、君・臣・佐・使の区別があるなど、かなり理論的になっています。臨床のための実践よりも場合によってはこじつけに近いものまでありましたが、古方派の学説に比べかなり理論化されていました。これに対して論理的過ぎると言うことから『傷寒論』などの古い漢方の学説を重んじる古方派が台頭することになったのです。日本ではより理論的な学説の後世方派の医学は排斥されてしまいました。これは日本人には理解しにくかったためだと私は思っております。中国は陰陽五行論と言う哲学思想を生み出した国ですから、哲学的な思考は得意だったようです。反対に日本人は「わび・さび」と言った情感を大事にする国民性ですから、仕方なかったのかもしれません。

日本ではいまだに2千年前に編纂された古方派の傷寒雑病論と言う漢方医学を大事にしています。この医学の特徴は対症療法(主に症状で選薬する方法)を大事にする漢方医学ですから漢方が伝わってからの数百年を「処方の応用」と言うことにだけ日本人は没頭してきたのです。実践にだけ費やし、理論的な考察を一切放棄してきたように思います。

「弁証施治」とは病気の元を突き止め、それを治すことである

日本で主流をなしている選薬システムは主に古方派の学問ですから症状ごとに処方を分類しておいて、その処方の中から合いそうな処方を選薬する方法を取っています。

例えば、頭痛を訴える方で口渇があれば五苓散を、血圧が高くて起床時に頭痛がすれば鈎藤散と言う処方を選びます。また、女性の方でイライラが強くてのぼせがちであれば加味逍遥散を選びます。しかも、この選薬システムは「数撃ちゃ当たる」方式ですのでほとんどの場合10日から2週間の試し飲みをしてもらうことになります。この期間に効果が出なければ転方(処方を変えること)してしまいます。症状が優先されて、病態把握が後回しになっていることからこのような短期間での転方が起こるのです。病態把握をしっかりとしていれば一旦決めた処方を変えることはあり得ないのです。これでは真の漢方医学は実践できません。

再現性のある漢方医学を求めて

日本では漢方を勉強する時、先人たちが経験した膨大な例を一つ、一つ、覚えていくことから始めます。漢方の世界では個々の方の特性を重要視しますので、当然一例報告が多くなってしまいます。その一例報告を基にして選薬をするのですから、どの先人の経験例を覚えるかで選薬は異なってきます。つまり、勉強の仕方により選薬は違ってくるのですから、選薬の結果は異なってしまうのです。これを医学と言えるでしょうか。

漢方医学が学問であれば再現性が必要です。一人の病人に対して、どの人が選薬しようと同じ薬が選び出されなければならないのです。再現性が確立して初めて学問と言えると思うのです。

私はこれからも再現性を求めて、すなわち漢方医学を科学化することに全力を挙げて取り組んでいきたいと思っております。